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この日のヒビノホスピタルは、つくばの国際会議場に小学生からお年寄りまで90名を超える参加者が集まり、アートセミナーという形で行なわれました。 まず最初に脳科学者の茂木健一郎さんのお話がありました。 クオリアという概念(私たちの感覚に伴う鮮明な質感を指す。例えば日常生活の中で感じた言葉にならないような“感じ”)を中心に、日常生活の中の小さな発見がどのように心と脳に影響を与え、表現力へと結びついていくのかというテーマでのお話です。人は対象物を理解しやすくするために文脈(分類、位置付け)に当てはめることが多いけれど、表現の世界ではその「文脈」を離れ、自身の個人的な、言葉にならないクオリアを感じることも大事、ということであるとか、温故知新という言葉にあるように、新しいものを生み出すためには過去のアーカイブも必要なのではないか、といった内容でした。 次に、日比野さんによるワークショップです。 5〜6人で1つのグループになりテーブルを囲み、初めて出会った人と顔を向かいあわせると、少し緊張しつつなんとなく照れくさそうです。 まずそれぞれに紙と鉛筆が配られ、日比野さんが「その紙に自分の名前を大きく書いてみよう」と言いました。書かれた文字は、名前はもちろん、濃さや大きさもみんなばらばらです。自己紹介も兼ねて自分を表す名前について話しました。それは、お父さんとお母さんが願いを込めてつけてくれたことであったり、年を重ねるにつれて好きになってきたことであったり。みんなそれを話す口元は少しだけ誇らしい微笑をふくんでいました。みんなの書いた名前を見ながら日比野さんは、「自分の名前を文字以外でかく人はいないね」と言いました。今日は、言葉と文字で、イメージの世界で遊ぶワークショップです。 |
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ということで、真っ白な表紙の冊子が配られました。中には何が書かれているのかわかりません。みんなで一緒に1ページ目をめくります。そこには「今日は○○みたいだ」と書かれていました。みんなそれぞれ自分の今日を言葉で表します。ホルモン鍋、魚くさい、フィンランド、お祭り‥。頭に思い描いた今日は同じ今日でも、いろいろな形や色、匂いがあるようです。 次のページには「四角いあたたかさ」「伸びる塩かげん」「水際の空」「地上1万メートルのすきま」などが書かれてありました。ひとつひとつの言葉はどこかがいつもとちがいます。みんなの顔がきょとんとしています。分かるようで分からない、だけどなんとなく想像できるような不思議な感じ。これらにならって、体のどこかがむずむずするような文を自分たちも作ってみました。 同じようにページをめくり、それぞれの他のページでは、意味のバラバラなたくさんの単語やフレーズをつないで、自分だけの物語をつくったり、いつも一緒にいるけれど見たことも触れたこともない自分の心臓に名前をつけてみたりしました。 今回は「ことば」を使っていろんなことをしてみました。毎日なにげなく使っているけれど、こうして意識して手で書いたり操ったりしてみると、いつもが少し違った見え方をすることや、ことばのおもしろさを知ることができました。日比野さんの言う、どこかむずむずする心地よさを体験したワークショップでした。 最後に、茂木さんと日比野さん、アーカスのキュレーターの帆足さんの対談が行なわれました。 そこでは、夏の個展に向けて作品を制作中の日比野さんが感じている、頭の中に確かに存在するイメージを作品として具現化するためのイメージがなかなか出てこないもどかしさについて話が展開されました。それを受けて茂木さんは、その日比野さんが感じているような、新しいものを生み出そうとする時の脳のはたらきと、ど忘れを思い出そうとする時の脳のはたらきはとてもよく似ているという見解を示しました。今まで誰も見たことがなかった(知らなかった)ような何か新しいものを生み出す(発見する)という点では、アートや科学はとても似ていて、アート、科学、といった文脈(垣根)を超えた何かができるといいですね、という話など、とても興味深い脳とアートの話が様々に展開された対談でした。
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